ってご存知ですか?やり方は知りませんが、たまに日本の新聞のコラムに
乗っているパズルのようなもの。私の親がなにやらはまっていたので
覚えていたのですが、インドにもありました、その名も「SUDOKU」。
日本の名前がそのまま来ているものは結構あるんですけど、
そういうの見つけると少しうれしくなります。
SUDOKU
数独
WATER KINGDOM(その3)
WATER KINGDOM(その2)
ディワリ
WATER KINGDOM(その1)
ガネーシャ祭
9月1日ごろから11日ごろまで(ずっとにぎやかなのではっきりしない)ヒンズー教の
神様の一人、ガネーシャ神の誕生を祝うお祭りがありました。ガネーシャ神はインドで
最もポピュラーな神様の一人で、あちこちに神体があり人々がお供えをしています。
このお祭りは、それぞれが丹精こめてこしらえたガネーシャ神を、笛や太鼓でもって町中
にぎやかに引き回してから海に流すというもので、ニュースによると、今年はムンバイ
だけでおよそ10万体(!)以上の神体が流されたのこと。…いろいろ考えてしまいます
が、うちのマンションの前から出発したガネーシャ様はちいさくてかわいらしかったです。
この期間は町のあちこちにいろんなガネーシャ神が祭られ、イルミネーションも鮮やかで
歩くだけでもお祭り気分になりました。
ガネーシャ神(お御輿仕様)
歌うたい
住んでいるマンションの前にはいろんな物売りの人たちが
やってきます。植木売りや、刃物とぎの人や、机とかイスひとつだけ
もって売りにくる人。みな拡声器など使わずに、大声で「いしやきいもー」
状態でやってきます。(砥ぎ師は、回転している砥ぎ石をシャリシャリ
いわせながらやってきます。日本でいうチャルメラの笛みたいなもんでしょうか。)
最近のニューカマーは、歌を歌いながらやってくるひと。窓から見てみると
なにやら楽しそうな格好で歩いてくるおっさんがひとり。
よく通る声で歌っているさまを部屋の窓から激写していると気づかれて、しばらく
こっちをみながら歌われてしまいました。
インドなだけに宗教がらみの歌だと思いますが、歌の商売?一曲30ルピーとか?
何屋さんなのかいまだにわかりませんが、時々やってくるのが週末のちいさな
楽しみだったりします。
歌うたい
ミャンマー料理
雨季
少し前になりますが、今年に入って初めての激しい雨が降りました。雨季突入です。
1年ぶりの雨に皆歓声を上げ、ずぶ濡れになりながら走り回ったりと
おおはしゃぎしていました。
子供だけかと思いきや大人までなんだか楽しそうで、こちらもついつい
傘を閉じそうになってしまいます。
マンションの周りには街路樹などの緑がたくさんあるのですが、雨が降らないため葉っぱなど
ほこりっぽかったのですが、この雨で緑がとても鮮やかになり、目にも綺麗です。
7月になると雨季も本格化してきて、日本だとゲリラ並みの雨量が一日中降り続き、
挙句のはてには道すべてが川みたいになって渡れなくなることも。
インド人はあまり気にせず水の中ざばざば入っていくのですが、
(子供たちは水遊びのようにして楽しそうでさえありますが)こちらはやはり
衛生的なことが頭をちらつき、そこまでなかなかできないのが少し悔しかったり。
なにはともあれ今は雨季まっさかりです!
川になった道
社員旅行でゴア!(最終日)
いよいよゴア最後の日。波打ち際で水遊びしたり、
おみやげものを探したりと、夕方4時半の集合時間までは
あっという間でした。
社員旅行は家族も参加できるので社員の子供さんも来ていたのですが、
いつもはしゃいでたのに帰るその時ばかりは大泣き。どうしたのか聞くと、
「帰りたくないー」。
皆ほほえましく見ながらも大人もやはり、バカンスが終わり現実に
戻っていくあの感じを感じていたと思います。
そして行きよりは少し長い時間寝台電車に揺られ、ムンバイに
帰ってきました。
ダヒサールの我が家に帰ってきたときはやはりほっとしましたが、
ゴアの海、街並み、インドなのにインドじゃない、でもやっぱりインド
という不思議なところにすっかり魅了されてしまいました。
いつかまた訪れたいと思います。
ムンバイテロ再び
7月13日、ムンバイの街が再びテロに襲われました。
ほぼ同時刻に3か所で爆発がおき、死者は21人にも上りました。
3か所のうち1か所は比較的近くにあり(20キロほど)、また
訪れたこともある知っているところだったので、ショックを受けました。
インドに来てからテロが起こったのは初めてで、
多少緊張したのですが、この辺りは意外に皆変わりない日常を過ごしていました。
しかしモールなどにいくと、今までよりさらに厳重なボティチェックと
荷物検査があり入るのに長蛇の列。でもこれくらいしてくれるほうがこちらとしても
安心なので、文句は言えません。ただ、喉元過ぎれば…にならないといいけど。
いろいろネットでの事故のことを見ていたら、「邦人が巻き込まれた情報はありません」
という言葉がありました。この言葉を事故側から聞いたのは初めてなので、
代わりにこちらの無事を日本に伝えられた感じがしてなんだか安心した気分に
なりました。
(あまり関係ありませんが、インドのマスコミは日本では絶対掲載しない被害者の写真
とかをばんばん載せるので、何気なく見ているとびっくりすることがあります。)
テロにどのような主張があろうと、このようなことは早くなくなってほしいです。
社員旅行でゴア!(3日目)
この日はバスに乗り込み、ゴア観光。大きな教会(日本人にも有名なフランシスコ・
ザビエルゆかりの教会。昔はザビエルのミイラも安置されていたそう。でも熱心な
信者がミイラの手をかみちぎってしまい撤去されたとか。こわすぎ。)や港町を
回っていくのですが、行く先を知らされていないので、
ちょっとしたミステリーツアーみたいに。
最後はクルージング!客船に乗り込み、ちょうど夕焼けどき、優雅に船上ならではの
風景を満喫…と思いきや、さすがインド人、踊る踊る。踊りまくる。
インド人ぎゅうぎゅうづめ!
流れている音楽もクラシックなどではなく大音響のダンス音楽。
もちろんアクティシステムの社員も負けじと踊っていました。
次の日は出発までフリータイムなので、ゴアでのイベントもこれが最後。
ここで過ごせるのもあとわずかになってきました。
インド人ぎゅうぎゅうづめの状況
社員旅行でゴア!(2日目)
ひとしきり買い物を済ませ帰ってくると、次のイベントは夕方から始まるレクリエーション。
私たちのグループはコメディタッチの劇を発表したのですが、私の役はヒンディー語で
長いセリフがあるので忘れないように家にいるときから練習をしていました。
最終的なリハーサルを終え、レクリエーションは予定を大幅に押した夜8時頃始まり
ました。私たちのグループの出番が回ってきたとき、少し緊張はしましたが、日本人が
ヒンディー語をしゃべると面白いみたいでけっこうウケました。
私たちの順番は最初のほうだったので、終わったあとはやれやれと、すっかり
リラックスして他のグループの出し物を楽しむことができました。
最後に審査結果の発表があったのですが、私たちのグループは2位!
大変満足する結果でした。
関係ないのですが、この日は偶然妻の誕生日で、舞台の上から司会の人がおめでとう
と言ってくれて、それもサプライズでとても喜んでいました。
結果発表の様子
社員旅行でゴア!(1日目)
ゴアネタ出します!
2月に社員旅行でゴアに行ってきました。
「ゴア」。インド西海岸に位置する州。リゾート地として、国内外ともに有名な場所。
ポルトガル植民地時代の建物と文化を色濃く残し、景観も素晴らしい。
などテンションの上がる知識を携え、集合場所のCST駅へ。そこから寝台電車で
揺られること約9時間、朝7時頃。南ゴア、マドガオン駅到着しました。目的のホ
テルまで車で約30分、見えてきたのは青色が涼しげな正真正銘のリゾートホテル!
インドに長くいると、きれいなものに過剰に感動してしまうところはありますが、
ここは外国人観光客が多いためか、完璧なレストラン、完璧な部屋、
完璧なトイレ(←重要)。
そしてホテルから少し行った場所にあるビーチと海の美しさは、心の大事なところ
がどんどん潤っていくような感じさえするものでした。
朝食を済ませ、少し休憩(寝台電車の中は大変寒く、熟睡できなかった)、
昼食後散策。海岸を少し離れると、観光客目当てのにぎやかな店や、海老や蟹の
レストランが立ち並び、ゴアならではの独特な異国情緒も味わえるそんな場所でした。
泊まったホテル
入院しました…(その2)
規則正しい入院生活の中、やはり楽しみになってくるのが食事。
インドは病院食もカレーなのか?という疑問は誰もがもつと思いますが、
でてきたのはさまざまなパンやチャパティと一緒に、スパイスははいっているかいないか
くらいのやさしいカレー(こっちでは違う名前の料理だと思いますが)。
健康な時にはきっと物足りない味付けなんだと思いますが、弱っているときには
これがとてもおいしい。果物とかもデザートにつくので、おなかいっぱいに
なるのでした。
こうして日々安静にしていくうちに、あれほどひかなかった夜の熱と、とりつかれて
いたかのような首の痛さがなくなってきました。
ですが、そろそろ退院?というころにまたぶり返したりして、一喜一憂していた
朝、先生からいきなりの「退院していいよ!」の声。
まだ体が弱っているため「ノーオイル」と言われたのに
退院当日の朝食のパンにたっぷりバターが塗ってあったのはおいといて、
入院生活は終了しました。
久しぶりに家に帰ってくると本当に体じゅうのねじがゆるむ感じがしました。
病気をすると健康の有難味に気付くとはよく言われますが、本当にその通りだと思います。
毎日元気で生活できることを大事にしないといけないとあらためて思いました。
いろいろご心配おかけしました。
ある日の病院食
入院しました…(その1)
大幅にブログ更新が遅れてしまいました。
実は、ウィルス性の風邪のため、入院していました。
インド人だと比較的早く回復する一般的な風邪だそうですが、
外国人はそのウィルスに免疫がないため、回復に時間がかかる
やっかいなものだったようで…。
夕方ぐらいから熱が出て次の日熱が下がってまた夕方ぐらい熱が出るの繰り返しで、
首から上が痛くて、リンパ腺が腫れるという状態が続いてました。
(首から上が何かに乗っ取られた様な感じでした。思い返すとぞっとします。)
一週間以上たっても一向になおらないので総務の人に病院に連れて行ってもらうと、
入院ということになってしまいました。
日本の病院との違いは色々ありましたが、
まず一つは、朝の回診などで、看護士さんが必要な薬や点滴、注射針などをリストアップ
するんですが、その紙を患者に渡し、「これらを下の薬局で買ってきなさい、
そうしたら打ってあげるから」ということ。付き添いのいない人だと、
自分で買いに行くかお手伝いスタッフ(チャイとか水とかをもってきてくれる私服のひと)に
お金を渡して買ってきてもらうらしいのですが、
病気のときにそれはしんどすぎる。
それでも本来インドの病院は病院食も出ないところが多いらしいのですが、
ここは毎日3度の食事と3時のおやつと、チャイタイムがありました。
(病気のときは早朝にチャイと軽食をとるのが健康にいいとされているらしく、
朝5時にたたき起こされるのは正直勘弁してくれ!と思いましたが…。)
5時にチャイ、6時にシーツ交換、7時に簡単な回診、8時に讃美歌を流す(キリスト教の
病院だった)9時に朝食、1時に昼食、3時におやつ、夕食は7時、10時就寝と
そんな感じの入院生活でした。
KARUNA HOSPITAL
インド 対 パキスタン
という、いかにも熱くなりそうなクリケットの試合が行われました。
ニュースによると、「インド国内50社の従業員500名を対象に行われた調査で、
約60%が試合当日に臨時休暇を申請し、30%がインド代表の試合運びがいい場合
には早退することを上司に許可してもらったと答えた。」とのこと。
インドの人口を考えると、この数字はすごすぎる。
結果は、インドの圧勝(260/9 対 231/10)で、町はもう遅くまで歓声やら、
花火やらで大盛り上がりで、会社からの帰り道は人があふれて、
リキシャも動けないほどになりました。
こんな雰囲気では、飲酒の文化のある国ならささいなことでも暴動とか
起こりそうな感じですが、インドの人たちはあまり公には飲酒をしないので、
いくぶんおだやか?ではありますが、少し冷や汗ものでした。
ムンバイのテロ以来初めての対戦となるこの試合は、準決勝で無事にインドが
決勝に駒を進めたわけですが、次の舞台はムンバイ。対スリランカ。
厳重な警備の中、インドが劇的な幕切れで(野球でいうサヨナラ満塁ホームラン)
実に28年ぶり!の優勝を手にしたのでした。
今思えば、インドがここまで勝ってたから機嫌がよかったのか、負けてたらどう
なってたのか、考えるとちょっと怖い気もします・・・
どろぼう市場に行ってきました!
「Chor Bazaar(チョール・バザール)」は、掘り出し物を見つけるならここ、
と言われる有名な市場です。ヒンズー語で、直訳すると「どろぼう市場」。
決して盗品が売られているわけでなく、ムンバイがまだイギリスの植民地だった頃、
ムンバイを訪れたヴィクトリア女王の船荷の中から大切なバイオリンがなくなり、
散々探していたら、「Shor Bazaar(ショール・バザール)の一角、
Mutton Streetで見つかったそうです。その結果、ヒンズー語で「どろぼう」を意味する
Chor(チョール)をかけて「Shor Bazaar(ショール・バザール)」は、
「Chor Bazaar(チョール・バザール)」と呼ばれることになったそうです。
名前は物騒ですが、ここは掘り出し物を探すにはもってこいの店と品数で、
埃にまみれてはいるものの、ランプ、家具、食器、
時計、タイヤ、車の部品とごちゃまぜに売ってました。
それと、マトンストリートというだけあって、ここは犬よりも羊のほうがたくさんいました。
結局迷い過ぎて収穫なしで帰ってきましたが、是非また行きたいところです。
引っ越しました(その5)
東北地方太平洋沖地震
3月11日に発生した地震により亡くなられた方々に
深くお悔やみを申し上げます。
また、被災された皆様、そのご家族の方々に対しまして、
心よりお見舞い申し上げます。
一日も早い復旧復興をお祈り致します。
スラム街での大火事
先日、ムンバイ、バンドラ駅周辺のスラム街で大きな火事がありました。
アカデミー賞受賞した「スラムドッグミリオネア」の子役の女の子の
家が全焼したとのことで、大きなニュースになっていました。
バンドラ駅は、最寄り駅から30分ほど行ったところにある駅で
週末に電車でダウンタウンに向かっていたところ、偶然通り過ぎました。
車内の人がみんな窓を見ているのに気づいて外をみたところ、
焼け出された人たちが建てたであろうテントがたくさん建ち並び、
焼け焦げたバラックなどが崩れずに残っていて、
その惨状を物語っていました。
ですがそのような大惨事の中、なんとなく、既に日常に戻っている場所もあり、
たくましさを感じさせられました。
引っ越しました - その4
マンションの前に、立派なグラウンドがあります。
そこでは週末になると、クリケットの試合が行われたり、
カップルや夫婦が散歩していたりする、きれいな場所です。
その門の前に時々、移動式の遊具がきたり、風車やバルーンアートの
出店がきてたりするのですが、このあいだはこんな楽しい風船売りが
来ていました。
いつもと違う出店が来ていると、なんかの日なんかなと思うのですが、
(夜の12時すぎてても、花火はよくあがってるし)
特になにもないことのほうが多いです。
それでも時には、近くの寺院がきらきらとライトアップされているときもあり、
そんな時は、やっぱりなんかの日やったんやなーと納得します。
そんな風船売りを撮っていると、近所の子供が走ってきて、
写真撮ってーと言ってきました。
撮った写真をもらうでもなく、デジカメに写った画面を見るだけで
満足そうに走っていきました。
引っ越しました - 3
引越し先は比較的静かな場所なのですが、
ある日の週末、いきなりの掛け声で起こされました(朝7時過ぎ)
近くにグラウンドがありよくクリケットなどをしているので
てっきりその掛け声かと思いきや、
家の前の道を工事している人たちの掛け声でした・・・。
太めのホースかなにかを、20人ほどで運び込むためのものだったのですが、
「今する必要があるのか」
「そんなに人数がいるのか」
「なぜ手作業なのか」
色々疑問が浮かびましたが、最後には、
インドだから・・・と納得してしまうのが不思議です。
お祭りのときとかの騒がしさは楽しいけど、
休みの日はもうすこし配慮してほしいのですが、
やっぱりインドだから・・・ 笑
(写真は、Republic Day の時、劇を披露していた子供たち)
引っ越しました - その2
Republic Day
1月26日は、インドの共和国記念日 Republic Day です。
調べてみると、インドで毎年同じ日付が祝日になるのは、
以下の3日だけだそうです
1月26日の共和国記念日、8月15日の独立記念日、10月2日のガーンディー生誕日。
他の祝日は太陽太陰暦などに基づくため、西暦に置き換えると、
毎年違う日にちになるのだとか。
ともあれ会社は休みとなり、その週の土日は、あちこちのマンションが
飾り付けされ、中庭にはちいさな舞台が作られて、とてもにぎやかでした。
そして我が家があるマンションもこんな風に楽しそうな感じに。
舞台では、小さな子から大きな子までが、ダンスやら歌やらを披露し、
言葉はわからないけれども、笑顔になってしまう一日でした。